生きていると悩みがつきません。

生活につかれた…。



ストレスがたまる…。



将来が不安…。
2500年前から、人間の悩みの本質は変わりません。
仏教の知恵や考え方が、人間の悩みを解決するという事実は、2500年たった今も同じです。



仏教?
宗教的でスピリチュアルな内容ですか?



いいえ違います。
このオーディオブックは、現実的な内容なので、宗教的な内容や、スピリチュアルな内容を期待する人にはおすすめしません。
「正しい理解で、苦悩から自由になる」実用的で合理的な知恵を得たい人に向けたオーディオブックです。
草薙龍瞬さんご本人の声を聴いているだけでも癒されますよ。
悩みとは?
悩みとは心の反応
悩みとは、心がつい動いてしまうこと、反応してしまうことによって生まれます。
しかし、反応しないということは、我慢することや、無関心でいることとは違うということに注意が必要です。
無駄な反応をやめることができると、こんなことがおきます。
- 動揺しない
- 落ち込まない
- 腹が立たない
- 不安にならない
悩みが「ある」という前提を知る
ブッダは、「人生には悩みや苦しみがある」という事実を、スタートラインとして受け入れた上で、それ以降の対処を考えています。
「ある」ものは「ある」と理解して受け入れてしまうことが大切なんですね。
- 生きることには、苦しみがともなう
- 苦しみには、原因がある
- 苦しみは、取り除くことができる
- 苦しみを取り除く方法がある
仏教は、信じれば救われるという宗教ではなく、論理的な思考法だというのがだんだんわかってきました。
苦しみは、求める心、七つの欲求から生まれます。
七つの欲求
- 生存欲:生きたい
- 睡眠欲:眠りたい
- 食欲:食べたい
- 性欲:交わりたい
- 怠惰欲:楽をしたい
- 快楽欲:音や映像などの快楽を味わいたい
- 承認欲:認められたい
承認欲とは?
現代の日本人にとって、七つの欲求のなかで、一番厄介なのが承認欲。
- 親に愛されたい
- 人気者になりたい
- 人に尊敬される仕事につきたい
- 他人よりも優れていると思われたい
- 他人よりも劣っているという劣等感がある
- SNSなどのインターネット上で自慢したい
- 周りの人がなっていない
- 会社がなっていない
- 国がなっていない
- 人の目が気になる
- 勝ち負けにこだわる
- 嫉妬する
些細なことが目に入ってしまい気に入らないという悩みの多くは、承認欲によります。



ぼくには承認欲がある



ぼくは承認欲で反応している
「ある」ものは「ある」。
その事実を理解し、受け入れるだけで、怒りや不満が消えることがあります。
他人に認められることが、いったい何になるのでしょう?
苦しみの正体を理解する方法
心の状態を言葉で確認する
- 緊張している
- 怒っている
- 悲しんでいる
- 焦っている
砂糖や塩が入っている瓶は、ぱっと見ただけでは、中身がなんなのかわかりません。
それに「砂糖」「塩」とラベルをはるのと同じように、心の状態にラベルをはって確認する。
心の状態を言葉で確認して、反応から距離をとるだけで、反応から抜けられることがあります。
感覚を意識する
最近流行しているマインドフルネスのこと。
目を閉じたまま、身体を動かし、身体が動く感覚や、身体の内面を意識します。
頭の中を3つ(人間の三大煩悩/三毒)に分類する
貪欲(貪/とん)
自分や他人に対して、必要以上に求めすぎたり、期待しすぎたりすること。
怒り(瞋/しん)
自分の心と違うものに対して、怒り憎むこと。
怒りは求める心が作り出している。
悲しみ、後悔や挫折、コンプレックスも怒りの一種。
放っておくと、怒りっぽさや気難しい性格は、年を取るごとにエスカレートしていくので注意が必要です。
妄想(癡/ち)
妄想は人間が一番好きな煩悩で、ほぼ一日中やっているものです。
仕事や勉強をしているのに、気がついたら妄想にハマっていて、ぜんぜん進んでいなかった経験は誰にだってありますよね。
特にネガティブな妄想にハマったときは、時間が無駄になる上に、気分も悪くなってしまいます。
妄想にハマったときは



今妄想している
と、客観的に言葉に出して確認することで、妄想から抜けることができます。
とはいえ、知らないうちにハマってしまうのが、妄想の特徴なので、妄想とそれ以外の感覚を区別する練習が必要です。
反応しない方法のまとめ
- 反応する前に、心の状態を理解すること
- 悩みの原因は、心の反応であること
- 心が反応してしまうのは、求める心や七つの欲求、特に承認欲に原因があるということ
その上で、
- 言葉で確認する
- 感覚を意識する
- 貪欲、怒り、妄想の3つに分類する
正しく理解することで無駄な反応を解消することを目指すのですが、正しい理解とは、自分が正しいと考えることではないことに注意です。
自分流の考えや、こうあるべきだという自分論にこだわるのではなく、「ある」ものを「ある」とニュートラルに理解する。
正しい理解こそが、自由な心を取り戻す方法なのです。
判断しない
この世の大半は判断しなくてもいい
- ニュースの善悪を判断して、コメント欄に反応する
- SNSやインターネット上のできごとの善悪を判断して、自論を書き込む行為
- 仕事に意味が「ある」「ない」と判断する
- 他人について、好き、嫌いと判断する人物評
- 自分は絶対に正しいと思いこむこと
ぼくたちは、謎の裁判官になって、ものごとを判断する必要はありません。
人は自分に都合の悪いものは「悪」と判断する性質があるので、立場によって異なる「正義」「悪」を判断するのは無駄です。
判断は、潔癖さや完璧主義、自己否定の原因になりますし、何よりも疲れます。
それでも、ぼくたちが判断に夢中になってしまうのはなぜでしょうか?
- ものごとが、わかった気になれる気持ちよさがある
- 自分は正しいと承認欲を満たす快楽がある
短期的な承認欲求にかられて、人よりも上に立っているような錯覚をしてしまうのは情けないこと。
本来「ない」ものを「ある」と勘違いしてしまう「無駄な判断」は妄想にすぎないのです。
判断するかどうかの仕分けをする
真実であり、有益であり、役に立つものだけ判断する。
仕事の場面で具体的な例をあげると、「判断することで仕事が前に進むか?」を基準にして、有益じゃない、前に進まないものは、思い切って無視するのです。
えらい人の独り言
「こんな仕組みはどうかなぁ?」
「こんな事業が気になるなぁ」
えらい人による、なんとなくの思い付きや、雑な丸投げを判断してしまうと、心に根深い悩みを生みます。
単なる独り言に反応するよりも、目の前のタスクに集中したほうが、ぼくたちのためだけではなく、会社のためになることがほとんどです。
一方、反応することで仕事が前に進む場合があります。
過去にうやむやになった案件が、再度取り上げられるようなシチュエーションは、ものごとが前進するチャンスといえますよね。
どちらにしても、条件反射的に反応する前にいったん立ち止まって、反応すべき案件なのか否かを仕分ける習慣を心がけたいものです。
判断してしまった場合の対処法
今判断したと気づく



今判断した!
と気づくことが大切。
人が好き嫌いという人物評などは判断で、それは必要のない判断です。
自分は自分と考える
他人が判断している場面に遭遇したら、判断することを降りる。



間違った理解をする人がいるかもしれないが、ぼくは正しい理解や思考が身につくようにがんばろう。
人は人、自分は自分と明確な境界線を引くこと。
大切なのは、真実か、役に立つか、常に自由に独立して考えるように心がけます。
素直になる
「自分は正しいはず」だという意識を解消して、素直になる。
他人と比較して思い上がる気持ち(慢))を手放して、素直で楽に自由に生きる。
慢は、心地よい瞬間があります。
しかし、高慢、傲慢、プライド、優越感は、最終的に不満やうぬぼれから失敗を招いて損をします。
自己否定しない。どんなときも。
人は、失敗してしまったとき、自分を否定して苦しみがちです。
自己否定は、承認欲求の渇き(不快)を生じさせます。
そして、その渇きを潤すために、次の2つの行動パターンをやってしまいがち。
攻撃
「私がこうなったのは、あの人のせい」と他人に怒る。
あるいは、「どうせ私なんて…」と自分に怒り、最悪の場合、自傷行為などに発展する。
自己否定は、攻撃を生み出すことがあります。
逃避
- 無視する
- サボる
- 鬱
- 依存(SNS/ゲーム/アルコール/ギャンブル)
自己否定は、これらの逃避行動の元となります。
自己否定を防止するエクササイズ
外を歩く
自分を苦しめる判断を抜けるために一歩一歩、感覚を味わいながら外を歩く。
内側の妄想の世界から、肉体の感覚世界にうつることで、自己否定を抜ける練習をします。
広い世界を見渡す(思いこみの外に出る)
世の中には、心優しい人がたくさんいることを確認する。
空を見上げて、世界が広いことを確認する。
判断への執着からはなれて、新しい広い人生を見てみましょう。
「私は私を肯定する」と口に出す
暗示としてのポジティブシンキングとは違うことに要注意。
現実と合致しない言葉がけは「妄想」なので逆効果になる場合があるからです。
判断そのものを停止するためにシンプルに「私は私を肯定する」と言葉がけをする。
人生に過ちや失敗はつきもの。
起きてしまったことに、いちいち悲観せず、今できることを考えて、気分一新やり直す。
過去の汚れを捨てて、新たな汚れを作らないように気をつける。
自分の価値を判断することは喜びにつながらない。
判断から自由になった者は他者から負かされることはない。
自信はなくていい
仏教は、根拠のない自信家に対して伝えられることはないのでノータッチ。
自信はなくていいのですが、わざわざ、自分はまだまだだと考えるのも実は妄想です。
とりあえず、ただやってみようとスタートラインに立つことからはじめてみます。
マイナスの感情で損しない
感情と関わりは別問題なので分けて考える
感情
相手の怒りに反応してはいけないし、相手の反応は相手に委ねます。
正しさは人それぞれ違うものだという前提によるので、「あなたにとってはそれが正しいのですね」と理解する。
気難しい相手と対峙するときは、心の半分は相手への理解、もう半分は自身の心の反応に目を向けると、落ち着いて対応することができます。
関わり方
相手を判断しない
しなくていい判断はしないこと。
他人を判断するのは自分にとってマイナスになります。
過去は忘れる
記憶を相手にして怒らない。
ケンカした相手が、目の前からいなくなっていても、まだむしゃくしゃしているとしたら、それは相手ではなく、自分の中の記憶に対して反応しているということになります。
相手はいつでも新しい人
人も心も無常です。
心は1日に7万個の想念を巡らせると言われるほどに、ひとつのことを考え続けるのは難しいことです。
言いかえると、生まれてから同じ考えの人であり続けるのは不可能なわけですね。
ぼく自身、この本を聴く前と後だけでも、考えが変わっているなと実感しています。
昨日合った人は今日は別人。
「あの人はこうゆう人」という判断や執着を捨てて、新しい人として理解すると気持ちが楽になります。
理解し合うこと
相手に理解してもらうこと。
大切なことを伝えても理解してもらえない場合、もしかすると、これ以上続ける必要のない関係なのかもしれません。
まずは、相手を理解し、信頼しましょう。
人生の方向性
どんな人生を選ぶのか、方向性を定める。
相手と苦しめ合うこと、憎しみ合うことは、さけなくてはいけない。
執着こそが苦しみを生んでいる。
快を大切にする
快が幸せ、不快が不幸せとシンプルに考えてみる。
この本が伝えるのは、快もなくそうとする「涅槃」を目指す宗教的な考えとは異なることに注意です。
それで人生が心地よくなるのならば、美味しいものを食べたり、気持ちよく眠ることは否定しない。
承認欲でさえ、本人が「快」を感じられるならば、うまく利用する。
承認欲のために仕事や勉強を心地よくがんばれるのと、承認欲のために仕事や勉強をしなくてはいけないと焦って不快になるのとでは全く違いますよね。
他人の目から自由になる
他人の目が気になるのは、承認欲が作り出す妄想のせいです。
- 嫌われた?
- 信用を失った?
- 悪口を言われている?
これまでに見たり聴いたりしたことが、ごちゃまぜになって、脳がデタラメな夢や妄想を作り出します。
仏教はオカルトではありません。
確かめようのないことは追いかけないのが、超現実的なブッダの思考法です。
正しい動機とは
否定をエネルギーにして生きると悩みが生まれます。
自己否定、他者否定のどちらも同様です。
正しい動機をエネルギーにして生きることが、悩みのない人生への近道。
では、正しい動機とはなんでしょう?
慈悲喜捨(4つの正しい動機)
慈
相手の幸せを願う
悲
相手の悲しみに共感する
喜
相手の喜びに共感する
捨
欲、怒り、妄想を手放す
捨てることが最も難しいと言われています。
人生のゴールは「納得」
人は必ず死にます。
ぼくは、老いたとき、病に伏せるとき、そのときまで、無意味なものを求め続けたくありません。
自分自身がOKならOK。
成果や見栄えにこだわりすぎず、自身の「納得」をゴールとするほうが楽で幸せだと感じました。
まとめ


生まれてはじめて親になり。
生まれてはじめてコロナに遭い。
2021年のぼくは、悩むことが多くなりました。
そんなときは、川まで歩いて、空を見たり、このオーディオブックを聴いたりしながら、反応や判断していた自分を確認するようにしています。
人に優しくなれたり、仕事に集中できたり、悩みを少なくすることに役立っています。
気になる人は、試しに聴いてみてください。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。